こんにちは「おかねとマネジメントの相談所」所長のナガツバです。
さてこの記事を発信している今日はお盆休みということもあり、ちょっとお休み回ということで、僕のことについて少しお話ししたいと思います。
僕がなぜ中小企業診断士という職業になりたかったのか。
それは大学時代に遡ります。
きっかけをくれたあるテレビ番組
僕が中小企業診断士という資格を知ったのは大学生の頃。
たまたまつけていたテレビのドキュメンタリーで、ダメ旅館を再生する番組が流れてました。
旅館の立て直し屋みたいな男の人(再生請負人)がダメ旅館の女将の依頼を受けて旅館の再生に乗り出すんですが、これがもうホント大変。
お客様を増やすための仕組みを作ろうとその彼が、全従業員を集めて今のやり方を変えようと提案するのです。
仲居さんのお客さまを誘導する動線や、もてなしかたはもちろん、果ては夕食の献立の総入れ替えなど、相当な痛みを伴う改革を提案したのです。
当然やり方を変えたくない仲居さんや料理長をはじめとする従業員が猛反対するんですね。
完全にドラマの世界です。
それでも、めげない再生請負人はどうすれば、彼ら反対派の心を掴むことができるのかを考えます。
そこで彼はあるマジックを使います。
まずは、自分を信じてもらうために目の前で売上を上げて見せたのです。
何をしたのかというと、売店の売り方を変えたのです。
乱雑に置かれた大量のお土産品、薄暗い店内、売り物か飾りか分からない木彫りの人形…
それまでの売店は、どこに何の商品があるのか、何をお客様に買っていただきたいのか、一言で言えば「売る気がゼロ」の売店でした。
ここに彼は目をつけたのです。
照明を増設し(といっても新たに買ったわけではなく、使っていなかったスポットライトを使用)、お土産品の数を大幅に減らし、減らしたことで生まれたスペースをお客さまが店内を歩きやすいように見直し、そしてあの売り物か飾りかわからなかった木彫りの人形に商品説明と木彫り職人のストーリーのPOPをつける。
これを1週間で行い無事売店の改装は終了しました。
その結果、宿泊したお客様は自然と売店に足を止め、二つ三つとお土産を買っていくのです。
流石にこれを見た反対派の従業員も再生請負人に一目置き、旅館再生に協力するようになりました。
そして、経営者や従業員が一丸となりこの旅館は見事再生することに成功しました。
そこで女将が最後に発した一言が私の人生を決めることになったのです。
「本当にありがとうございました。」
気が付くと、私は彼と同じ気持ちになって女将さんの言葉を噛み締め、感動して身震いをしたのを覚えてます。
困難に立ち向かいそれでも挑戦し続ける。
人は、自らの知恵と勇気と行動で困った人を救うことができる。
僕の将来の夢は「『ありがとう』と感謝される」人になりたい。
そう決心した瞬間でした。
そのためのには知識を身に付けなければいけない。
そこから、彼のような仕事が経営コンサルタントだということを知り、経営コンサルタントになるための知識を身につけるためにはどうすれば良いのだろうと調べました。
そこで「中小企業診断士」という国家資格があることを知ります。
ただ、今と当時では試験制度は異なりますが、それでも今と同じくらいの難関資格だということは認識してました。
現在の試験制度は基本的に「1次試験→2次試験→面接→実務補習→合格」という流れになってます。
一次試験の合格率が20%、この一次試験を合格した人だけが挑戦できる二次試験以降の合格率も20%。
つまりこの流れでストレートで合格する人は100人いたら4人程度。
つまり合格率は4%前後ということになります。
合格率だけでいうと司法書士と同じくらいの難関資格ということになります。
ただ、体系的に学び、1年で850時間〜1300時間程度の試験時間を確保すれば受かる試験でもあります。
そう、努力をすれば受かる試験なんです。
ただし、独学だとかなり厳しい試験です。
合格への近道は資格取得の専門学校を利用すること。
僕は地方に住んでいたので、自宅の周辺にこの手の専門学校がありませんでした。
それでもオンラインやDVDなどでリアルな専門学校に通うのと同じくらい学べるこができました。
「リアルじゃなきゃ質問とかできないし一方通行なんじゃないの?」
僕も最初そう思いました。
しかし、そんなことはありませんでした。
リアルな塾同様、メールなどで講師が質問に丁寧に答えてくれます。
しかも、メールだと回答が文書で残り、口頭での質問と違い聞き逃しがなくなるので、僕は積極的にメールでの質問を活用してました。
因みに、僕が当時利用していたのは「LEC東京リーガルマインド」でした。
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夢を目指すはずが…
その後、とある金融系の会社に就職した僕は、あの時テレビで見た彼のように、いつかお客様のために役立つ仕事をしようと日々仕事をしてました。
しかし、当時の僕の仕事は広報や統計などのバックオフィス業務。
直接、お客様と会うことすらありませんでした。
間接的にお客様のためになっているのだと自分に言い聞かせながらも悶々とする日々を過ごしてきました。
しかし「自分はこのままバックオフィスで一生を終えるのではないか?自分の夢は実現できないんじゃないか?」
そんな不安がよぎり始めました。
そうして、バックオフィス業務についてから8年目のある日チャンスは突然訪れます。
当時の上司から「ちょっと相談したいことがある」と役員室に呼ばれました。
役員室で役員と上司の対面に座った僕に役員から発せられた一言に僕は驚きを隠せませんでした。
「中小企業診断士を受けてみる気はないか?」
思わず心の中で「来たぞ。チャンスが!」
と叫んでました。
一方でなんでバックオフィス業務をしている僕に声がかかったのか?
という疑問もありました。
後で、上司から聞いた話なんですが、その当時僕の直前で試験に合格したのが、僕の大学の後輩で彼は大学でも優秀でした。
そんな彼の次に中小企業診断士を目指すとなれば、彼以降の後輩はそのプレッシャーに耐えられず、みんな辞退したそうなんです。
そこで、彼と同じ大学の先輩である僕しかいないだろうということで、声がかかったということでした。
一念発起
しかし、チャンスが回ってきたとはいえ、難関試験であることに違いはないわけであり、まして会社から一部お金を出してもらっている以上、失敗は許されないわけです。
さらに、当時僕にはまだ生まれたばかりの息子がいました。
試験勉強をすることで当然妻に負担をかけることになるので、僕は試験を受けるか戸惑いました。
でも妻がそれを後押ししてくれました。
「自分のやりたかったことでしょ。せっかくのチャンスなんだから挑戦してみれば。」
自分もこれから大変な思いをするかもしれないのに、僕の夢を後押ししてくれるなんて本当にすばらしい奥さんだなと心の底から思いました。
これで環境は整いました。
いよいよ、僕の中小企業診断士への挑戦が始まりました。
しかし、ここからが困難の連続でした。
少し長くなったので、続きはまた明日。
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それではまた。